スポッターズ的ひこうき写真館                                               軍用機


アメリカ空軍 135シリーズ 偵察機


バリエーションも多く、ミッションの機密性も抜群に高い機体である。


RC-135A
1965年に4機(63-8058、63-8059、63-8060、63-8061)デリバリーされた地埋探査、地図作製用写真偵察機。
1979年に空中給油磯KC-135Dに改造された。


OC-135B
1992年から1995年にかけてWC-135B、3機(61-2670、61-2672、61-2674)を改造して作られたオープンスカイズ協定検証用査察機。
1機(61-2674)はすでに退役している。


RC-135B
1964、1965年に10機デリバリーされた電子偵察モデルで、これらはマーチン・バルチモア工場にフェリーされ、電子偵察装備を搭載の改修を受けて1967年にRC-135Cと改称された。


RC-135C
RC-135B改造のSIGINT(信号情報収集)機で、1967年1月〜11月にかけてオファットAFB、55SRW(戦略偵察航空団)に10機配備され、同年4月、RB-47Hに替わって戦略SIGINTミッションを開始した。
RC-135Cは前部胴体両側面に巨大なアンテナフェアリングを初めて装備したのが特長で、1970年に3機がRC-135Uに改造され、またその他の7機は1972年12月以降RC-135Vに改造された。


RC-135D 「リベット・ブラス」
KC-135AII 3機を1965、1966年に改造したSIGINT機で、1967年1月にコードネームを「オフィス・ボーイ」から「リベット・ブラス」に変更した。
1975年までエイルスンAFBからのSIGINTミッション「バーニング・キャンディ作戦」に従事したが、1960年代後半には嘉手納に派遣され東南アジアにおけるSIGINT 「コンバット・アップル作戦」も実施した。
1976、1978年に3機ともKC-135A(後にRとなる)に再改造された。


RC-135E 「リサ・アン」または「リベット・アンバー」
C-135B(62-4137)を改造して1966年に作られた弾道ミサイル情報収集機である。
胴体前部に強力なフェーズドアレイレーダーを搭載し、前胴右側半分の外板がグラスファイバー製とされた他、内翼下面には発電用T55エンジン(左)と冷却用熱交換器(右)をポッド式に搭載していた。
1m四方の物体であれば1,800km以上遠方から探知可能という捜索能カがあったといわれるが、1969年6月5日にミッション中に行方不明となった。


RC-135M 「リベット・コード」
1966年にRC-135Dの後継機として6機のC-135B(62-4131、4132,4134.4135.4138.4139)が改造された。
D型と同じロングノーズレドームを持つが、前部胴体側面のアンテナフェアリングは無く、替わりに胴体後部にティアドロップ型フェアリングが付いた。
1967年5月には横田の3AD(第3航空師団)Det.1に配備され、戦略SIGINT 「バーニング・コード」を開始した。
翌1968年1月に嘉手納に移動して82SRS所属となり、ベトナム戦争終結まで「コンバット・アップル」ソーティーを実施した。
これら6機のM型は1978年以降順次RC-135Wへとコンバートされた。


RC-135S 「ワンダ・ベル」、「リベット・ボール」、「コブラ・ボール」
ソ連の弾道ミサイル実験の光学/電子情報収集は1962年にAFSC(空軍システムズ軍団)のJKC-135A(59-1491)によってテストが始められたが、1963年3月1日同任務はSACに移管され、同機はRC-135S「ワンダ・ベル」(後に「リベット・ボール」)と改弥され、4157SWに配備されたが、1969年1月にシェミア(アリューシャン)で墜落した。
例代S型クラッシュの直後、C-135B 2機(61-2663、61-2664)のRC-135S「コブラ・ボール」へのコンバートが開始され、1969年10月エイルスンに配備された。
61-2664は1981年3月15日にシェミアで墜落し、その代替としてC-135B(61-2662)がS型にコンバートされ、1983年11月エイルスンに配備された。
また1995年にはRC-135X(62-4128)がS型に改造され、2003年現在で3機のフリートが維持されている。


RC-135T
KC-135T(Q型改造機とは別のELINT機、55-3121)を1971年5月に改称したもの。
1973年に電子偵察型135のクルートレーナーとなり、嘉手納の376SWに配備された。
1979年にエイルスンAFB、6SWに移動したが、1985年2月25日にアラスカで墜落してた。


RC-135U 「コンバット・セント」
1970年にRC-135C、3機(63-9792、64-14847、64-14849)を改造して作られたSIGINT機である。
63-9792は1975年から1977年にかけてRC-135Vに再改造された。


RC-135V 「リベット・ジョイント」
1972年にRC-135Cから7機(64-14841、64-14842、64-14843、64-14844、64-14845、64-14846、64-14848)改造されたSIGINT機である。
1977年にU型からの改造機が加わり、2003年現在8機が運用されている。
C型譲りの前部胴体側面アンテナフェアリンクを装備していたが、後にW型と同様の細めのフェアリングに変えられている。
RC各型に対してはエンジンをTF33からF108(CFM56)に換装するリエンジンプログラムが進行中だが、最初に換装されたのはV型(63-7292)で、VとWから順次換装される予定である。


RC-135W 「リベット・ジョイント」
1978年以降RC-135Mから6機順次改造されたSIGINT機である。
M型との相違点は前部胴体側面に大型のアンテナフェアリングを装備したこと、胴体後部のティアドロップ型フェアリングがなくなったこと、胴体下面にディッシュ型、ブレード型など多数のアンテナを増設したことなどである。
その後、3機のC-135B(62-4125、62-4127、62-4130)がRC-135Wにコンバートされた。


RC-135X 「コブラアイ」
空軍と陸軍が共同運用するため開発された弾道ミサイル情報収集機で、1983年にEC-135B(62-4128)からの改造作業が開始された。
技術的困難のためテストに長期間を要し、1989年7月にエイルスンの6SWに配備され、8月以降ソ連ICBM実験観測をスタートしたが、冷戦終結による予算カットのため1993年にいったん保管状態とされ、1995年にRC-135S「コブラ・ボール」にコンバートされた。


TC-135S、TC-135W
これら2機種は厳密には偵察機型の範疇には入らない機体だが、RC-135SRC-135URC-135VRC-135Wのクルートレーニング及び支援機として使用されているためここに分類した。
いずれも偵察装備は搭載していないが、ロングタイプのレドームを持ち、右翼上面やエンジンナセルを黒く塗装(S型)したり、前部胴体側面アンテナフェアリングを装備する(W型)など、偵察型をシミュレートする仕様となっている。
TC-135S(62-4133)は1985年にEC-135Bからコンバートされ、TC-135W(62-4129)は1987年にC-135Bから改造された。


WC-135B、TC-135B
WC-135Bは1965年にC-135B、10機(61-2665、61-2666、61-2667、61-2668、61-2669、61-2670、61-2671、61-2672、61-2673、61-2674)を改造して作られた気象偵察機である。
本機の任務は、アメリカのグローバルな戦略に合わせて世界各地の気象情報を収集すること、及び大気中に浮遊する放射性物質の観測・収集である。
10機のうち3機は1973年に要人輸送機C-135Cに改造され、1機(61-2667)は1977年頃からクルートレーナーとして使われていたが、1993年にTC-135B、1995年にWC-135Wへと改称された。
冷戦の終了と核実験停止条約の発効によりWC-135の任務の重要性は薄れ、3機はOC-135Bに改造され、残る3機も退役済みで、2003年現在残っているのはWC-135Wが1機のみである。


WC-135C
EC-135C(62-3582)を改造した気象偵察機だが、外見上はEC時代とほとんど変わりがない。


WC-135W 「コンスタントフェニックス」
TC-135B(61-2667)を1995年に改称した機体である。
なお、他の2機もWC-135B(61-2665、61-2666)も1995年にWC-135Wとなったが、1年足らずの間に退役した。