1981年の導入以来、事故で失われた航空自衛隊のF-15は12機(J型8機、 DJ型4機)である。(殉職・行方不明10名) |
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2022年1月31日 17時30分頃 乗員2名殉職 |
飛行教導群 F-15DJ 32-8083 |
2022年1月31日 午後5時30分頃、航空自衛隊 飛行教導群のF-15DJが小松基地を離陸直後、海上に墜落した。 |
2011年7月5日 10時46分頃 乗員1名行方不明 |
第204飛行隊 F-15J 72-8879 |
2011年7月5日午前10時46分頃、航空自衛隊 那覇基地所属のF-15戦闘機1機が同基地の北西約180kmの東シナ海上で訓練中に消息を絶ち、海上自衛隊が周辺海域で同機の垂直尾翼を回収した。 懸命の捜索が行われたが、パイロットの行方は判明しなかった。 |
2008年9月11日 16時20分頃 乗員1名救助 |
第304飛行隊 F-15J 42-8833 |
戦闘機戦闘訓練中にエンジンの排気温度を知らせる警報が作動した。パイロットはスロットルを停止位置にし再始動を試みたが、必要な推力を得ることが出来ず墜落・海没した。 パイロットは緊急脱出後、出動した芦屋救難隊によって救出され無事であった。 |
1995年11月22日 乗員1名救助 |
第303飛行隊 F-15J 52-8846 |
小松基地北北東約165kmの海上でACM訓練中、AIM-9で模擬発射訓練を行おうとしたところ、僚機(62-8870)のミサイルが誤発射され尾部に命中した。パイロットはベイルアウトし漁船に救助されて無事だった。事故後、機体は引き揚げられ調査後にスクラップとなった。 |
1995年10月6日 乗員1名無事 |
第303飛行隊 F-15J 72-8891 |
夜間防空戦闘訓練のため離陸中にトラブルが発生、小松基地のR/W06の滑走路端のクラッシュバリアにヒットして約5mオーバーランして停止した。火災が発生したが数分後に鎮火。パイロットは自力で脱出して無事だった。 |
1993年10月6日 乗員2名救助 |
第202飛行隊 F-15DJ 82-8064 |
北海道苫小牧市の南約20kmの太平洋上に燃料系統の不良の為に墜落した。飛行中に燃料系統の異常が発見され、エマージェンシーからベイルアウトまでの約20分間の間に問題を調査した。(この時のパイロット2名の所属は飛行教導隊)墜落までの間に点検が必要な箇所を絞り込んでいた為、F-15J/DJの飛行停止期間は1日で完了した。 |
1992年10月27日 15時25分 乗員1名殉職 |
第204飛行隊 F-15J 72-8884 |
対戦闘機戦闘訓練から百里基地へ帰投中、茨城県北茨木市沖55kmの海上に墜落した。乗員は「アンコントロール」と連絡した後、海上でベイルアウトした。漁船に救助された後に救難ヘリで搬送されたが殉職した。 |
1991年12月13日 10時01分 乗員1名救助 |
第201飛行隊 F-15DJ 12-8079 |
千歳基地を離陸後、小松基地に向かい着陸態勢に入った時にエンジンに不具合が生じた。パイロットは高度600mでベイルアウトし、近くで操業中の漁船に救助された。機体は小松基地北西沖の日本海に墜落した。 |
1990年7月2日 19時24分 乗員1名殉職 |
第204飛行隊 F-15J 52-8857 |
百里基地東方70kmの鹿島灘上空の訓練空域で2対2のレーダー要撃戦闘訓練中、事故機が1万フィートから5,000フィートに降下中にレーダーから消え墜落した。 |
1988年6月29日 16時18分 乗員2名殉職 |
第303飛行隊 F-15J 22-8804 22-8808 |
要撃戦闘訓練で回避運動中の目標2機編隊2番機と、別機を攻撃中の要撃編隊3番機が空中衝突し爆発炎上後に小松沖に墜落した。 |
1987年3月13日 乗員1名殉職 |
第204飛行隊 F-15J 42-8840 |
3機編隊の1番機として要撃訓練を行っていたがバーティゴに入り、百里基地の東北東130kmの海上に墜落した。 |
1983年10月20日 18時32分 乗員2名殉職 |
第202飛行隊 F-15DJ 12-8053 |
宮崎沖で低高度の夜間訓練中に墜落した。 |
JASDF | Japan Air Self Defense Force | McDonnell Douglas F-15 Eagle |