海防艦「志賀」は、戦艦大和が沖縄に向かって出撃する時に、敵潜水艦を制圧しつつ、その先導役を務めた。 戦艦大和の最期を見届けたのも海防艦「志賀」である。 終戦期は、アメリカの連絡船となり活躍した。 日本に返還されてからは、海上保安庁所属の船となり、船名も「こじま」と変わった。 台風の定点観測船やソビエト、北朝鮮からの引き上げ船としても活躍した。 最後は練習船となり海の男を育てた。 引退後は千葉市の海洋公民館として市民に親しまれていたが、平成10年に解体された。 戦中戦後を通して波乱万丈な運命を送った海防艦「志賀」を語り継ぐため、船首が展示されている。 |