ほっとパーク鉾田 茨城県 鉾田市 当間 220 北緯36度09分07秒 東経140度29分09秒 |
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鹿島鉄道は、石岡市のJR常磐線石岡駅から小美玉市、行方市を経て鉾田を結んだ全長27kmの民営鉄道であった。 明治後期になると行方地方を縦貫し鹿島神宮に至る鉄道計画がたびたび提唱された。 要村(行方市)出身の実業家で代議士の高柳淳之助を発起人とする石岡町(石岡市)の有力者らが1921年10月12日に行方鉄道株式会社を設立し、石岡〜玉造町に地方鉄道敷地の免許申請を行った。 行方鉄道に対する免許は交付され、1922年9月3日に会社設立総会が行われ、商号を鹿島参宮鉄道に変更した。 1924年6月8日に石岡〜常陸小川の営業を開始し、鹿島鉄道は産声を上げた。 1926年8月15日には常陸小川〜浜を延長開業し、1927年5月17日には浜駅に隣接する汽船発着場から、霞ヶ浦航路による参詣客輸送を開始した。 さらに、鹿島参宮鉄道は資本金を増額し、行方地方を縦貫して潮来〜延方に至るルートを変更し、北浦に望む鉾田町(鉾田市)を終点とするよう建設方針を転換した。 これは鹿島参宮鉄道が多大な建設費を要する行方縦貫路線の延伸よりも最短距離で北浦航路および計画中の鹿島軌道(大洗〜鉾田〜息栖)と連絡することで、鹿島参詣客を確保し、かつ鹿島郡役所・警察署・旧制中学校などがあり、発展しつつある鉾田町へ路線を延伸する方が経営上からも得策と判断したものである。 1928年2月1日に浜〜玉造町を延伸し、1929年5月16日に鉾田までの全線開通に至った。 戦時の交通統制で竜崎鉄道を合併、1965年に常総筑波鉄道を合併して関東鉄道鉾田線となるが、自動車輸送の発展により収益が悪化し、1979年4月1日に経営を分離し、関東鉄道の子会社となった。 鹿島鉄道は葉タバコをはじめとする農作物、航空自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送、学生の通学など多くの住民に利用されたが、営業収入の基幹であったジェット燃料輸送は2002年3月限りで廃止され、収益は一層悪化した。 親会社である鹿島鉄道をはじめ、茨城県と沿線自治体が財政支援し、列車は運行されてきたが、2005年のつくばエクスプレスの開業により、鹿島鉄道は常総線や自社高速バスの利用者が大幅に減少したことを理由に、2007年以降の経営支援を行わない方針を決定した。 これを受け、支援なしでの鉄道経営は困難として、2007年3月31日限りで、開業以来83年の歴史を持つ鹿島鉄道は全線で営業を廃止した。 その後、鉾田駅保存会は、路線で活躍していた2両の気動車を鹿島鉄道から購入し、鉾田駅跡地を貸借して保存活動を行ってきたが、鹿島鉄道側から土地貸借契約を解消され、設定された退去期限内の移設が困難となり市へ寄贈することになった。 鉾田市は車両移設に伴う予算を市議会へ提出し、2009年7月21日に当該予算が可決され、この地へ移設された。 |