海軍航空隊笠野原基地跡 川東掩体壕 鹿児島県 鹿屋市 川東町 8206-1 緯31度22分20秒 東経130度53分29秒 |
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〇掩体壕について 掩体壕とは戦時中に航空機や物資などを敵の攻撃や爆風から守るために造られた施設である。 土をコの字型に盛ったもの(無蓋掩体壕)からコンクリート製のもの(有蓋掩体壕)まで、たくさんの掩体壕が基地周辺に建設された。 |
〇笠野原基地について 笠野原飛行場は、40haの敷地が農家から借り上げられ、在郷軍事人や青年たちの奉仕作業により、大正11年大刀洗陸軍飛行場(福岡県)の離着陸用民間飛行場として誕生した。 その後、格納庫・整備工場・兵舎などの施設が増築され、敷地は120haまで拡張された。 真珠湾攻撃に参加した第2航空戦隊艦上爆撃隊も、この飛行場を使用していたとされる。 昭和20年1月時点では零戦72機が配置されていたが、同年3月18日以降に行われたアメリカ軍の集中爆撃により、格納庫をはじめとする基地施設が壊滅的な被害を受けた。 東西・南北の滑走路を含めた基地施設は、終戦後に払い下げられたため、農地や住宅地となった。 |
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