利根川公園 山梨県 南巨摩郡 増穂町 北緯35度34分24秒 東経138度27分50秒 |
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甲府盆地を県民に親しまれ走り続けた山梨交通株式会社(旧・峡西電鉄)の電車は、明治から大正時代にかけて隆盛を誇った鉄道馬車に替わり、昭和5年、当時の山梨電気鉄道株式会社によって甲府〜青柳の運行が開始された。 この電車の開通により、峡西、南地方の人にとっては甲府を結ぶ重要な輸送機関として利用され、また終点の甲斐青柳駅と身延線鰍沢口駅をバスで連結し、甲府と静岡を連結させる旅客輸送の一幹線となるなど、峡西、南のローカル交通として果たした役割は大きかった。 甲府から甲斐青柳までの間、26の駅があり、本町には終点の甲斐青柳駅と長沢新町駅が設けられた。 甲府〜甲斐青柳の20.3kmを所要時間約55分で運行し、上下線とも30分ごとに発車されていた。 戦後、年間2〜3百万人の利用客があったが、自動車交通の著しい発展により、利用者が次第に遠のき、昭和37年6月3日の運行を最後に廃線となった。 ここに展示されている車両は、昭和23年に製造されたもので、昭和37年に甲府盆地でその勤めを終えたのち、長野県の上田丸子電鉄で走り、昭和46年から神奈川県の江ノ島電鉄へ移り、藤沢〜鎌倉を観光客や通勤客を乗せて走り続け、神奈川県の人たちにも「チョコ電」の愛称で親しまれた。 しかし、老朽化が進み、昭和61年4月27日の運行を最後に廃車となったが「思い出の電車を増穂町に」との町民の熱望により、長い旅客輸送の使命を終えた電車は24年ぶりに里帰りした。 山梨交通株式会社の電車は、昭和5年から昭和37年まで、わずか32年間の運行であったが、太平洋戦争を挟み、幾多の変遷を経ながら山梨県民の足として地域の発展に役立ち、交通輸送歴史の1頁を刻んだ。 数々の思い出を乗せ、愛され親しまれた電車を、増穂町また山梨県の交通輸送歴史の記念として永久に保存していくため、旧軌道沿いであるこの地に設置したものである。 |
略歴 |
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大正13年8月 | 甲府電車軌道株式会社設立 |
大正15年8月 | 甲府〜青柳の軌道敷設免許おりる |
昭和 4年1月 | 起工式(貢川電車停留所予定地において) |
昭和 4年4月 | 山梨電気軌道株式会社に社名変更 |
昭和 5年5月 | 貢川〜大井 運行開始 |
昭和 5年8月 | 大井〜青柳 運行開始 |
昭和 5年9月 | 貢川〜上石田 運行開始 |
昭和13年 | 峡西電気鉄道株式会社に社名変更 |
昭和20年 | 戦時下の統制により合併し山梨交通株式会社電車部となる |
昭和36年1月 | 株主総会で電車軌道の廃止決定 |
昭和36年3月 | 沿線町村長会議の席で山梨交通株式会社より廃止の発表 |
昭和36年4月 | 町、町議会、商工会、住民による廃止反対陳情 |
昭和37年5月 | 運輸省の廃止許可おりる |
昭和37年6月 | 最終運行 電車廃止・バス切り替え記念式 廃止車両のうち2両が長野県上田丸子電鉄へ |
昭和46年 | 上田丸子電鉄から江ノ島へ移り「チョコ電」の愛称で親しまれる |
昭和61年4月 | 江ノ島電鉄で任を終え引退 |
昭和61年6月 | 故郷 増穂町に里帰り |