霞ヶ浦海軍航空隊跡 茨城県 稲敷郡 阿見町 阿見 5383 北緯36度02分18秒 東経140度12分12秒 |
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太平洋戦争中、敵の空襲から飛行機を守るために、霞ヶ浦海軍航空隊飛行場周辺に作られた二十一基の有蓋掩体壕のうち、唯一現存する豪である。 建設当時は昭和18年末から昭和20年初頭にかけて建設され、鉄筋コンクリート造りの上に土を盛った構造である。 空襲時は機体を後部から壕の中に引き入れた。 雨水排水のため壕の基礎部分は少し傾斜している。 終戦後、海軍から払下げを受けて居宅として使用されていたため解体されることがなかった。 その他の壕は戦後の鉄不足の影響で、鉄筋を取り外すために全て壊されてしまった。 太平洋戦争末期、航空劣勢下にあった海軍航空部隊の様相を如実に物語る遺構であり、近代文化遺産としても重要なものである。 |
主要諸元 |
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寸法 | 開口部 | 約14m |
前面幅 | 約22m | |
所有者 | 山田 敏子 |
IJA | Imperial Japanese Army | Wartime Concrete Aircraft Hangars |