築城基地近郊 北緯33度41分36秒 東経131度01分48秒 |
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稲童1号掩体壕の概要 |
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所在地 | 福岡県 行橋市 大字稲童 | |
規模 | 盛土幅 | 42.0m |
盛土高 | 8.5m | |
奥行き | 23.5m | |
入口幅 | 26.8m | |
入口高 | 5.5m | |
構造 | 鉄筋コンクリート | |
築造年 | 昭和19年8月頃 |
掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るために造られた格納庫である。 太平洋戦争当時の築城海軍航空隊の施設で、現在ではこの稲童1号掩体壕を含め数基が残っている。 稲童1号掩体壕は、夜間戦闘機「月光」、陸上爆撃機「銀河」、「一式陸上攻撃機」などの双発機を格納するために造られた大規模な掩体壕である。 壕内部の壁面には、コンクリート打設時に使用した板材や、その痕跡、丘陵地帯を掘り下げた土の跡形が明瞭に残り、築造工法が窺える。 築造には兵士、朝鮮人労働者、地域住民、地元学生などが動員された。 このような大型の掩体壕のほかに零戦などを格納する小型の掩体壕もあった。 稲童地区には、飛行場の北側に位置し、掩体壕など多くの軍事施設があったことから、しばしば空襲を受けた。 安浦神社など稲童地区の随所に今も残る機銃掃射の弾痕は空襲の被害が激しかったことを物語っている。 この掩体壕の壁面や周辺にもアメリカ軍機の機関銃の弾痕や、投下された爆弾の跡などが残っている。 昭和20年8月7日の空襲では、この掩体壕の中に格納されていた夜間戦闘機「月光」が炎上した。 稲童1号掩体壕は、戦争と地域の歴史を後世に伝える貴重な史跡であることから、平成14年12月12日に市の文化財に指定された。 平成15年より、発掘調査や補修工事などを行い史跡公園として整備された。 |
〇築城海軍航空隊について 昭和17年10月に宮崎県富島町(現・日向市)に練習航空隊として開隊し、昭和18年6月に築城に移転した。 アメリカ軍の空襲が激化した太平洋戦争末期には、神風特別攻撃隊(特攻隊)も出撃した。 当時の滑走路は、長さ1,800m、幅50m、飛行場の面積は145万平方メートルの規模であった。 現在、飛行場は行橋市と築上町にまたがり「航空自衛隊築城基地」として利用されている。 太平洋戦争末期、空襲の被害を避けるため、築城飛行場の周辺には様々な施設が分散配置された。 築城基地の北側に位置する稲童地区には、屋根のある「有蓋掩体壕」が7基前後、「コ」字状の土塁で飛行機を囲んだ屋根のない「無蓋掩体壕」が13基前後tくられた。 掩体壕は基地の北側からのびる誘導路(飛行場から飛行機を退避させるために造成された道路)で繋がっていた。 |
築城海軍航空隊の歴史 |
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昭和14年春 | 海軍が飛行場建設計画の通知を八津田村役場へ出す |
昭和14年12月 | 飛行場の建設が開始される |
昭和17年10月 | 初代築城海軍航空隊(仮称 富高空)が宮崎県富島町(現・日向市)に開隊される |
昭和18年 | 富島町から築城へ初代築城海軍航空隊が移転する |
昭和18年12月 | 零戦による訓練が開始される |
昭和19年 1月 | 第十二航空艦隊第五十一航空戦隊に編入される |
昭和19年 2月 | 第五五三航空隊と改称され北海道美幌に移る |
昭和19年 3月 | 筑波海軍航空隊が移駐し第二代築城海軍航空隊が開隊する |
昭和19年 8月頃 | 基地周辺に掩体壕が築造される |
昭和20年 2月 | 特別攻撃隊(特攻隊)が編成される |
昭和20年 3月 | 稲童地区地下通信司令部壕がつくられる |
昭和20年 3月18日 | 神風特別攻撃隊菊水部隊銀河隊が銀河6機で九州東方海上に向けて出撃 5機が未帰還となる |
昭和20年 8月 7日 | 築城基地と周辺地域が大規模な空襲を受ける |
昭和20年 9月 | 築城海軍航空隊 廃止 |
IJA | Imperial Japanese Army | Wartime Concrete Aircraft Hangars |