C-1墜落の事故原因は特定できず
航空自衛隊のC-1輸送機(美保基地所属)が2000年6月28日、島根県隠岐島沖の日本海に墜落し乗員5人が死亡した事故で、航空幕僚監部の事故調査委員会は2001年3月16日、「事故機は、失速速度に近づけて機器類の作動状況を確認する検査中に機体の姿勢が大きく崩れ、回復できずに墜落した」とする調査結果を発表した。
また、異常運動が起きた直接の原因については「回収した機体や部品に異常はなく、天候も問題なかった」として推定を避けた。
事故は2000年6月28日午後、定期検査終了後の飛行試験のため美保基地を離陸したC-1が、隠岐島の北北西約50kmの洋上に墜落したものである。
事故調査委員会が当日の試験手順やレーダーの航跡を分析した結果、C-1は事故当時高度約4,000mを時速210km/h程度まで速度を落として飛行、警報装置が作動するかなどを確認する失速検査をしていた。
機長が「大丈夫。つかまって」などと乗員に話していたことが交信記録に残っており、機首を十数度上げた状態から激しい姿勢の変化が起こり、回復できなかったと推定している。
しかし、引き揚げたエンジンなどの機体からは異常は見つからず、原因の特定はできなかった。
航空幕僚監部は同日、以下のように発表した。
1.定期整備終了後の飛行試験の実施要領を見直す。
2.機体の姿勢が崩れた際の回復要領の再教育などの再発防止策を講じる。
事故機と同型機
2000.12.06 福岡空港にて撮影
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