山形歩兵第32聯隊之跡 | 2020年 | ||
山形歩兵第32聯隊は、明治31年3月24日、宮中にて軍旗を拝受 最上義光の居城であった山形城に誕生し、国防の一翼を担い、霞城聯隊とも称した。 日露戦争では、明治38年、緒戦の黒溝台会戦に抜群の勲を樹て、勇名を馳せた。 満州事変では、昭和7年、熱河作戦に参加し万里の長城の古北口、南天門等の戦闘で活躍し、満州東部国境の防衛に任じた。 大東亜戦争の戦況急迫に伴い、聯隊は一個大隊をメレオン島に急派、主力は転進して沖縄防衛第32軍の指揮下に入った。 昭和20年3月末から沖縄本島は、圧倒的優勢なアメリカ陸海空軍の猛攻を受け、各部隊は勇戦敢闘したが、逐次壊滅、6月23日、軍司令官の自刃により組織的抵抗を終えた。 しかし第32聯隊だけは、軍旗を奉じ、残存250名が沖縄南部の国吉台とウテル原台一帯を死守した。 8月末終戦の大命を知り、軍旗を奉焼し聯隊は終焉を迎えた。 |