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8t自走客車

8t自走客車
旧標津線 奥行臼駅(北海道 野付郡 別海町)
北緯43度18分39秒 東経145度12分37秒

風蓮線は長らくの間、馬力線として運行されていたが昭和39年(1964年)に北海道開発局による経路変更・動力化が完了した。
展示されている車両は、これらに際して導入されたものである。

○8t自走客車
自走客車とは北海道開発局独自の用語で、気動車(レールバス)のことをいう。風蓮線には釧路製作所製、泰和車両工業製の2両の自走客車が在籍していた。展示されている車両は、昭和39年(1963年)11月に釧路製作所で製造(形式KSC-8 製番No304)され、エンジンはバス用の日野DS22を搭載、定員は60名、液体式変速機と温風暖房を備えたボギー式の優秀車であった。風蓮線には奥行臼、奥行第一、奥行第二、奥行第三、富山、1号、2号、学校前、4号、5号、7号、上風蓮の計12ヶ所の停留所があった。昭和46年(1971年)の廃止まで、もう1両の自走客車と共に通学などの沿線住民の足となり活躍した。

○旧村営軌道風連線
北海道は明治43年から第一期拓殖計画を推進するうえで、開拓地との物資の輸送を円滑に行い、また、開拓者の輸送を無料で行うことを目的として根室地方に次々と殖民軌道が敷設された。
別海村全域に展開された殖民軌道は、昭和9年中標津〜厚床間の標津線の開通後、次々と廃止の道をたどったが、広大な別海の重要な交通機関であることには変わりなかった。
この風連線は戦前の厚床〜風連までの殖民軌道がはじまりで、昭和28年から北海道と村が管理協定を結び運行、昭和38年動力化事業も道開発局事業として実施され、完成と共に村と管理委託を締結して運行された。
この軌道の完成は、同地域唯一の交通機関えだり地域住民の交通手段としてだけでなく、生活および生産物資の輸送に大きく貢献した。
道路網の整備などにより昭和46年3月末を以って廃止となった。


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