風蓮線は長らくの間、馬力線として運行されていたが昭和39年(1964年)に北海道開発局による経路変更・動力化が完了した。 展示されている車両は、これらに際して導入されたものである。 ○内燃機関車 1962年(昭和37年)6月加藤制削除の6tディーゼル機関車(製番62176)、エンジンはトラック用の三菱ふそうKE-21を搭載している。加藤製の機関車としては最後の製品である。もう1両の内燃機関車(釧路製作所製6t)と共にミルクゴンドラ車やミルクタンク車を牽引して活躍したが、一般の無蓋貨車や有蓋貨車も牽引し沿線農家の生産資材や生活物資の輸送に活躍した。 ○ミルクゴンドラ車 各農家から集められた集乳缶を集乳工場に運ぶための2軸ボギー木製無蓋貨車で、自走客車と同じ釧路製作所製である。集乳缶を二段積みにして内燃機関車や自走客車に牽引され輸送された。集乳缶の輸送は一般の無蓋貨車や有蓋貨車でも行われ、風蓮線にはステンレスタンク車も2両導入された。上風蓮に集乳工場が設置されタンク車へのミルク積み込みが行われ奥行臼まで輸送されたが、加工工場が路線から離れていたため、タンクをクレーン設備でそのままトラックに積み替えるコンテナ方式が試みられた。現在では農協が事業主体となって各酪農家にバルククーラー(牛乳冷却装置)を導入している。これに伴い、従来の集乳缶による牛乳輸送は廃止され、タンクローリー車による集乳輸送へと切り替えられている。 ○旧村営軌道風連線 北海道は明治43年から第一期拓殖計画を推進するうえで、開拓地との物資の輸送を円滑に行い、また、開拓者の輸送を無料で行うことを目的として根室地方に次々と殖民軌道が敷設された。 別海村全域に展開された殖民軌道は、昭和9年中標津〜厚床間の標津線の開通後、次々と廃止の道をたどったが、広大な別海の重要な交通機関であることには変わりなかった。 この風連線は戦前の厚床〜風連までの殖民軌道がはじまりで、昭和28年から北海道と村が管理協定を結び運行、昭和38年動力化事業も道開発局事業として実施され、完成と共に村と管理委託を締結して運行された。 この軌道の完成は、同地域唯一の交通機関えだり地域住民の交通手段としてだけでなく、生活および生産物資の輸送に大きく貢献した。 道路網の整備などにより昭和46年3月末を以って廃止となった。 |