北国博物館 北海道 名寄市 緑丘 222 北緯44度20分32秒 東経142度28分00秒 |
北海道の開拓は鉄道の設置と共に進展した。 名寄にも開拓の鍬がおろされた明治33年の3年後、明治36年に現在の宗谷本線が名寄まで開通した。 昭和16年には名寄本線、深名線の分岐点として交通の要地となり、以後、名寄は鉄道とともに歩んだ街でもある。 その時代の流れと共に昭和50年12月で全国から国有鉄道のSLは姿を消した。 この地に展示してあるSL排雪列車編成は、名寄市が北国の鉄路を守った雄姿を残す為、当時の国有鉄道より貸与されたものである。 「キロマキ」と愛称されたこの編成の列車は、全国でただ一編成のみ、かつて活躍した旧名寄本線のレールの上で保存展示されている。 キロマキは「SLキロマキ編成排雪列車」といい、機関車・マックレー車・ロータリー車・機関車の順に連結された排雪列車の頭文字をとって名付けられた。 雪の多い北海道内陸部、東北、北陸地方では路線両側に高い雪の壁ができ、普通のラッセル式では除雪が困難なために、この編成の出動となった。 この列車には、機関区員や保線区員などが十数名分乗し、先頭の機関車が両側の雪をかき集めるマックレー車を牽引し、その雪をロータリー車が回転する羽根で遠くへ飛ばし、それを後ろの機関車が後押しするという一連の作業で除雪に威力を発揮した。 |
主要諸元 |
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製造 | 昭和14年11月20日 | |
製造所 | 国鉄苗穂工場 | |
退役 | 昭和50年10月18日 | |
全長 | 19.025m | |
雪を飛ばす距離 | 横 | 約30m |
上 | 約20m |