山形県 山形市 霞城町 1-1 北緯38度15分13秒 東経140度19分44秒 |
2009年 | ||
2020年 |
済生館本館は、明治11年(1878年)、山形城旧三ノ丸の七日町大手門を入ったところに、初代県令三島通庸によって県立病院として建てられ、人々から「三層楼」と呼ばれ親しまれた。 鹿児島県出身の原口祐之が大工棟梁となり、山形の宮大工たちが、わずか七ヶ月で完成させた。 広い中庭と回廊をもつ、三層四階、高さ24mの洋風建築となっている。 当時の太政大臣三条実美が、この病院を「済生館」と命名した。 二階講堂にその時の御真筆の額が飾られている。 三島県令は、オーストラリア人のアルブレヒト・フォン・ローレツを医学寮の教頭として招き、西洋医学の教育と診療を実施した。 この病院と医学校は東北地方におけるドイツ医学のメッカとなった。 明治初期の擬洋風建築の傑作として、昭和41年(1966年)に国指定の重要文化財となり、昭和44年に現在地に解体復元された。 現在、この建物には「山形市郷土館」として、医学資料を中心に、郷土資料が展示され、一般に公開されている。 |