スポッターズ的ひこうき写真館 軍用機
航空自衛隊 T-2 高等練習機 国産のジェット高等練習機。後期型にはレーダー火器管制装置やバルカン砲が搭載されている。
T-2は国産初の超音速ジェット機で、マッハ2級のF-104J導入にともない超音速練習機が必要となったことから1967年9月に三菱を主契約社として国内開発されることが決まった。 インテークベーンは固定式だが、側面部分には左右6カ所の補助空気取り入れ口が離着陸時や地上滑走時など低速域での効率低下を防ぐために設けられている。 機体はセミ・モノコツク構造で、65%以上がアルミ合金で造られ、この他スチール約18%、チタン約9%、マグネシウム約7%となっている。 操縦席部分はタンデム式で、通常は前席が学生、後席は教官が搭乗し、前後での操縦が可能となっている。 設計は国内各社技術陣を結集したASTET(先進超音速練習機技術チーム)によって進められ、エンジンはRR-チュルボメカ・アドーアMk801A(石川島播磨によりライセンス生産)搭載が決まった。
原型XT-2は4機作られ、1号機は1971年7月20日に初飛行に成功した。 生産型T-2は92機つくられたが、うち30機は戦闘用装備を持たない前期型、62機はバルカン砲とFCS(射撃管制装置)を持つ後期型で、XT-2の3号機はT-2CCV研究機に、前期型のうち2機はF-1原型のFST-2改に改造された。 T-2は1975年以降松島基地第4航空団に配備され、航空自衛隊ファイターパイロットの養成に使用されたのに加え、1981年〜1995年までブルーインパルスの使用機として、また1981年から1990年まで飛行教導隊のアグレッサー機としても活躍した。 2006年3月末で全機退役した。
1998年まで飛行していたが、それ以後は岐阜基地内で保管されている。 2014年末からは「かかみがはら航空宇宙科学博物館」で展示されているほか、岐阜基地の航空祭でも地上展示される場合がある。
1982年11月14日には浜松北基地で展示飛行中に墜落し1名が死亡する事故を起こした。 1977年から、各地で曲技飛行(全175回)を繰り広げていたが、1995年12月3日に浜松にて最後の展示飛行を実施した。
主翼には50周年に因んで純白のストライプが5本入っており、機首部分には実験航空隊時代の先人達の苦難を表現した「暗中模索」をイメージした黒色が入っている。 |