天正時代の岩石城は、古処山城の秋月氏の勢力下にあった秋月種実の時には、全盛期を迎え二十四支城を支配し、36万石を領した。 岩石城は、その二十四支城の中で、最も賢固で自慢の城といわれていた。 天正15年(1587年)4月1日、豊臣秀吉は、九州平定の要の戦として、島津・秋月連合の重要な砦であった岩石城を15万の大軍を揃え攻めた。 3,000の守備兵は、奮戦したが1日で破られ落城した。 |
主要諸元 |
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城郭構造 | 山城 |
築城主 | 平清盛 |
築城年 | 保元3年(1158年) |
主な城主 | 平氏、大友氏、大内氏、秋月氏 |
廃城年 | 天正15年(1587年) |
遺構 | 曲輪、石垣、堀、井戸 |