スポッターズ的ひこうき写真館 城
高松城跡
高松城は別名「玉藻城」といい、天正15年(1587年)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が翌16年(1588年)に工を起し、約3年の歳月を費やし天正18年(1590年)に完成したが、その縄張り、つまり設計は当時有名な建築家、黒田孝高(如水)がしたとされている。
この高松城は全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡である。 昔から「讃州さぬきは高松様の城が見えます波の上」と謡われていた。 生駒家が4代54年と、寛永19年(1642年)常陸国下館から松平ョ重(水戸光圀の兄)が封ぜられて以来 明治に至るまでの、松平家11代228年の居城として、讃岐の政治、経済、文化の中心地となった場所である。 城跡は昭和29年1月16日に松平公益会から高松市が譲り受け、翌30年5月5日に「玉藻公園」として一般市民に開放した。 また、彦根城とは昭和41年8月15日に姉妹城縁組をした。 これは、井伊大老の次女である千代姫が第11代高松城主松平ョ聰の奥方として輿入れしたことに由来する。 城跡は天守閣や石垣、掘などが遺存し国の史跡指定となっている。 トップへ 戻る
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