スポッターズ的ひこうき写真館 飛行機
博物館展示機 知覧特攻平和会館
昭和12年12月、陸軍は中島飛行場に九七式戦闘機(キ27)の後継機としてキ43の開発を指示した。
一時、採用が見送られそうになったが、航続距離の長い戦闘機の必要性から、昭和16年4月に一式戦闘機として制式採用された。 大東亜戦争の初頭は南方をはじめ各戦線において陸軍の主力戦闘機として活躍し、「隼」の愛称で広く国民に親しまれた。 しかし、戦争の中頃には武装の火力不足、エンジンの出力不足から、米英機と比較すると見劣りするようになってきた。 一型から始まり、性能の向上を図るため二型、三型と改良が行われた。 三型の特徴はエンジンを水メタノール噴射型のハ115U(1,150馬力)に換装し性能の向上が図られた。 また、各型には機首に搭載された武装の違いで甲・乙・丙と区分され、3型の場合は甲が12.7mm砲×2門、乙は20mm砲×2門が搭載された。 戦闘機として活躍した隼も戦争末期には特攻機としても使用され、九七式戦闘機、九九式襲撃機に続き、3番目に多い166機が使われ、そのうち120機が知覧基地から出撃した。 総生産機数は約5,750機で海軍の零戦に次いで2番目に多かった。 展示されている機体は平成19年5月に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影のために実寸大に精巧に制作されたものである。 トップへ 知覧特攻平和会館へ 一式戦闘機「隼」へ |