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旧日本軍 特殊潜航艇

特殊潜航艇 2014年

展示されている特殊潜航艇は、太平洋戦争開始直前、それぞれ伊号第16、伊号第18、伊号第20、伊号第22、伊号第24潜水艦に搭載され昭和16年11月20日に呉軍港を出航し、同年12月8日未明特別攻撃隊としてハワイ真珠湾に在泊中の米軍太平洋艦隊の攻撃に参加した5隻の内の1隻である。

昭和35年6月13日真珠湾外約1マイル地点で米海軍により発見引き揚げられ、昭和36年6月20日真珠湾に寄航した揚陸艦「しれとこ」に搭載されて同年7月10日約20年ぶりに横須賀に持ち帰られ同年7月28日第1術科学校に到着した。

受領当時、艇体頭部は切断されていたが昭和37年2月株式会社呉造船所により新製され、艇体の原型が復元された。

○特殊潜航艇について

特殊潜航艇が公表されたのは昭和16年12月8日太平洋に戦端が開かれるや長器駆してハワイ真珠湾に潜入、航空部隊の攻撃と呼応して米国主力艦隊を強襲し諸戦を飾ったときであり、この特殊潜航艇の攻撃が太平洋戦争の特別攻撃隊の始めてであった。

その後、特殊潜航艇は逐次改良され「甲標的」と呼称されていたものは乙型、丙型、丁型と変遷し、この段階で「甲標的」に代えて「蛟龍」という名称が用いられるようになった。

これらの特殊潜航艇は南方はるか豪州シドニー軍港にて米豪艦隊を、インド洋はマダガスカル島ディエゴスワレス港にて英国艦隊をそれぞれ急襲して連合軍を震撼させた。

また「特型運貨筒」「特型運砲筒」と呼ばれた艇はソロモン海域に物資や砲銃の輸送に従事し活躍した。

さらに戦場が、我が周辺に迫るに及び「海龍」が量産され「蛟龍」「回天」ともども本土決戦に満を持したのである。

まさに、特殊潜航艇をもって始まった太平洋戦争は、特殊潜航艇によって終わりを告げようとした。

特殊潜航艇の関係戦没者は370余柱に及んでいる。

戦後これらの特殊潜航艇乗組員の功績と栄誉を敬慕し、その御霊をお祭りするため各地に慰霊碑が建立されている。

第一術科学校の近在に建てられている碑は次の通りである。

香川県小豆島郡内海町馬木八幡神社境内「忠魂碑」
広島県安芸郡音戸町波多見八幡神社境内「嗚呼特殊潜航艇碑」
山口県徳山市大津島「回天」
愛媛県西宇和郡瀬戸町三机須賀の浜「大東亜戦争九軍神慰霊碑」
山口県熊毛郡平生町松倉工場内「回天碑」
山口県光市正門町武田薬品KK前「慰霊碑」


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