スポッターズ的ひこうき写真館                                          メールマガジン


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                   2011年3月11日(金) 東日本大震災

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■はじめに
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未曾有の大震災が起こりました。空港・飛行機とは関係ありませんが臨時号と
して発行させて頂きたいと思います。また、今回の震災で亡くなられた方々、
罹災した方々には心より御冥福とお見舞いを申し上げます。


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■行程
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【3月11日 金曜日】
 0530    起床
 0800    出勤
 1450ころ  大地震発生
   〜1830 会社の事務机で待機
 1830〜1930 祖母の家を偵察
 1930〜   会社の事務机で待機
 2000    乾パン支給
 2000〜   会社の事務机で待機

【3月12日 土曜日】
 0130    就寝
 0600    起床
 0600〜   会社の事務机で待機
 0800    おにぎり支給
 0815〜   帰宅許可
 0830〜   上野駅に向け歩行開始
 1000    上野駅到着
 1000〜1030 上野駅の状況確認
 1030〜   赤羽方面に向け歩行開始
 1240    赤羽(西新井付近)でタクシーに乗車
 1310    帰着
 1330    帰着報告完了


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■コンディション
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【3月11日】
天候;はれ

午前9時; 6.6℃、風速;1.3m/s、風向;北北東
正午  ;10.1℃、風速;3.3m/s、風向;南南東
午後3時;10.4℃、風速;3.0m/s、風向;東
午後6時; 8.2℃、風速;5.4m/s、風向;北北西
午後9時; 5.4℃、風速;6.6m/s、風向;北北西


【3月12日】
天候;快晴

午前3時; 4.5℃、風速;1m/s、風向;北西
午前6時; 2.5℃、風速;3m/s、風向;西北西
午前9時; 7.2℃、風速;3m/s、風向;北西
正午  ;10.3℃、風速;1m/s、風向;北北東

 ※気温および風速風向は気象庁のアメダス(東京都 東京)を基に構成


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■エアポート雑記帳 ; 東日本大震災
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小学生の頃、「まもなく関東大震災が来る周期なので備えましょう」と教育さ
れた。それから35年以上が経過し、「東京には大地震は来ない」と、思い込
んでいた。

それでも、心の何処かでは「もしかしたら・・・」とも感じていた。

昨年、3月。へーベルハウスのイベントに参加し、起震車に体験搭乗
この起震車は、阪神大震災や関東大震災の揺れ方を再現できるようになってい
た。

阪神大震災の揺れ方は、下からズンズンで時間的には意外に短く感じた。
関東大震災の揺れ方は、平面的にユサユサ揺さぶられ時間的にも長い揺れ方だ
った。

でも、こういう揺れ方は起震車で体験するものであり、実生活とは無関係だと
思っていた。

2011年3月11日
金曜日も午後となり、週末モードでマッタリ過ごしていた。
コト、コト、コト ん?地震だな。
生まれてからズット関東に住んでいるので、地震には馴れている。
「どうせ、直ぐに収まるでしょ。」って思っていたのだが・・・。
デカイ!。
揺れ方のパターンは、起震車で体験した関東大震災と酷似していたので、とう
とう本物の関東大震災が来たのだと思った。

こういう時には、慌ててはいけない。落ち着いて。落ち着いて。
揺れている最中にネットで地震速報を確認。震源地が宮城となっていた。
関東大震災ではないのに、こんなに揺れるの!!!!
揺れが収まらなく、さすがに身の危険を感じたので、避難用のヘルメットを着
用して姿勢を低くした。

怖かった。

数分後、「全員、屋外に避難」との全館放送が流れた。
避難訓練は年に数回行っているが、本物の避難をするのは初めて。
って言うか、本物の避難を想定して避難訓練には参加していない。
訓練が役に立つ時が来るとは・・・。

地区内の従業員と来社していたお客様たちが全員集合
人員確認している際にも余震が連発した。
この時、私に下された指令は「作業場の安全を確認してくること」であった。
え"〜っ。この作業場って爆発物を取り扱う施設なんですよね。
この爆発物は、無酸素状態でも爆発するし、古くは気化爆弾の原料でもあった
物質なのである。
こんな物質を約100kgも保管している。漏れ出ていたら洒落になりませんぞ。
渋々、作業場に行き安全の確認を行った。
セーフ。設備に問題なし。

ところで・・・。
これだけ大きな地震なので、帰宅の足は混乱するだろう。
「早めに帰った方が良いだろう。」と思っていた。
が、この時はまだ、長い一日の始まりに過ぎなかった。

定時までは、事務机の前で待機
電車は全部止まっていた。

会社になんか泊まりたくない!

ここで妙案を思いつく。
実は、会社から徒歩30分くらいのところに祖母が住んでいたのである。

祖母の家に逃げ込もう!
そうすれば、ウザイ職場の同僚達と一夜を共にすることだけは免れられる。

午後6時30分
この時、まだ全路線で電車は動いていなかったが、「5kmを目途に、歩いて帰れ
る人は帰宅してヨシ。」の指令が出た。

「私、自宅は無理ですけど、祖母が住んでおりますので離脱しま〜す。」
混乱している職場から逃げ出した。

祖母の家までの道のりをトボトボ歩く。
幹線道路は車でビッシリ。ピクリとも動いていなかった。
総武線の某駅はシャッターを閉めて運行開始の気配なし。
二段式の立体駐車場に止めてあった車が上段から落ちている。
日常では目にする事のない光景を目にしながら、祖母の家に到着。
玄関のガラスを叩いた。「ばぁ〜ちゃん!、ばぁ〜ちゃん!」
小さい家なので、中に人影があるのは確認できた。
だが、祖母は出てこない。
耳が遠いので聞こえにくいのか?
もう一度、ガラスを思い切り叩いて大声で叫んだのだが、出てこない。
後ほど確認したのだが、祖母は怖がって隠れたらしい。暗くなってから、電話
連絡もせずに行ったので怖がるのも仕方がないですよね。
電話をしようにも、通話制限で使えなかったので仕方がないですが。

そんなこんなで、職場に逆戻りして「私も仲間に入れてください」とお願いし
た。

この頃になりやっと長期戦を腹に括り、帰るのは明日になる事を覚悟した。

この後、会社からの指令は、「今夜は全員帰宅不可」になったり、「徒歩で帰
れる人は帰宅許可」になったり、そうこうしているうちに地下鉄や一部の私鉄
が運行を再開して、「安全(と思われる)な帰宅経路を申告し、上長が許可す
れば帰ってヨシ」などと2転3転した。

私は、暗い状況で歩いて帰るのは得策ではないし、JR以外の足はない。
従い、抵抗のしようもなかったが、同室の4〜5人は自宅に向かった。

しばらくして、全館放送
「食料と水の備蓄は3日分あります。近隣の迷惑になるので外の店での買出し
は自重すること。」

食料の備蓄なんて言っても、ドウセ乾パンだろ。と、思っていたら全員に乾パ
ンが支給された。

でも、こんな状況なので乾パンでも有難い。

ここで、またまた全館放送
「女性に限り、おにぎりを用意しております。食堂に取りに来てください。」
男女差別だ!
「女ばかり優遇するから、性別変更するバカ野郎が出るんだ!」
そう、当地区には男から女に性別変更したキモイ野郎が実在する。

夕飯終了
既に業務時間ではないので、寝てしまっても良いわけだが、変な緊張感があり
眠くならない。

それに、尋常ではない数の余震が続き怖かった。

でも、午前1時くらいになり、眠くなり始めた。
事務机のある部屋は人が多いので、誰も居ない作業場で眠る事にした。
当然暖房は付けっ放し。余震に備えて電気も点けっ放し。緊急避難に備えて靴
を履いたままで眠る事にした。

午前6時
全館放送の声で目が覚めた。この時、何を伝えたのかは覚えていないが、「各
部屋の代表者は集合!」だったのだと思う。

作業場から事務机のある部屋に戻ってみると、代表者が「本日の行動方針」を
伝え始めた。

とりあえず午前8時までは社内に待機
それまでの間、インターネットで情報収集に励んだ。

総武線と京浜東北線と高崎線は動いているらしい。
これなら帰れる。

通常の通勤経路では乗換えを2回するが、電車は混んでいるに決まっている。
乗り換えを2回するということは、電車に3回乗ることを意味している。
こんな状況で、乗り換え2回は無理だろう。

地図を眺めて、帰宅経路を検討
自宅までは約30km 歩くと7時間くらいだろう。
一方、上野駅まで歩けば乗り換えなしで帰れる。距離は約7km
ならば、とりあえず上野駅を目指そう。

午前8時になり、全員におにぎり2個が支給された。
近所の仕出し弁当屋さんが配ってくれたらしい。感謝。

午前8時15分 帰宅許可
社内に閉じ込められていた人々が自宅を目指し始めた。
上野駅までは1時間30分くらいで到着すると思われるが、念のため乾パン1
缶と水を持った。この先、何があるか分かりませんので。

午前8時30分、上野駅に向け歩行開始
道中、スカイツリーや浅草寺などを眺めながら午前10時に上野駅到着

さて、電車に乗るか。
???。
スゴイ数の人で溢れている。

宇都宮線と山手線の運行は×〜△との情報だが、京浜東北線と常磐線と高崎線
が動いているハズだが?

確かに、京浜東北線と常磐線と高崎線は動いているようだった。が、運行本数
が1時間に1本程度。

こういうのを「動いている」と表現するの止めて欲しいのだが。

じっと、並んで順番を待つのは性に合わない。

座右の銘は「座して死を待たず」
「動いて墓穴を掘るタイプ」なので、上野駅を諦め北に向け歩行開始。
自宅までは残り25kmくらいあると思うが、歩いていれば何とかなるだろう。
最悪、全部歩いても明るい時間帯には辿り着くハズだ。

午前10時30分 とにかく北に向け歩行開始
道路は車でビッシリ。タクシーやバスに乗るよりも歩く方がハルカニ速かった。

ゆっくりだが、確実に自宅を目指した。
昼を過ぎ、疲れたわけではないが、そろそろ歩くのにも飽きてきた。
既に都心を離れ埼玉県が目の前、道路混雑は解消されている。

そろそろ、タクシーにでも乗りますか。
空車のタクシーを探しながら歩いたが、ナカナカ見つからず。
30分経過。
12時40分頃、赤羽付近の環七沿いでタクシー会社の事務所を発見
事務所で直接交渉しタクシーに乗車

会社から上野駅まで約7kmを1時間30分歩いた。
上野駅から赤羽付近まで約8kmを2時間歩いた。

タクシーに乗車した場所から自宅までは約15kmだった。
会社から自宅まで全部歩くと約7時間だろう。

体力的には、歩こうと思えば歩ける距離であることを身を以って実証した。

道路が空いていたので、スイスイ進んでタクシー乗車20分 5,380円で自
宅に到着。この時の時刻は、午後1時10分であった。

「帰着したら上長に連絡すること」との指令が出ていたので、メールで連絡
これにて、ホッと一息。

で、自宅の様子は・・・。
これが、驚くほど無被害であった。

会社はスゴク揺れたので、家の中はグチャグチャだと覚悟していたが、ほぼ無
被害。

テレビは倒れていない。
ウイスキーのビンも倒れていない。
本棚も倒れていないし、中身も飛び出ていない。
よく見ると、模型などの場所が微妙に動いていた程度の微細なものだった。

ここで、やっと普通の生活に戻れる。
昨晩は職場にいたのでテレビはなかった。
携帯のワンセグは電池節約のため不使用。
インターネット情報だけだったが、やっとテレビ情報に触れた。

動画で見ると、スゴイ状況になっている。

省みれば、私が体験したのは
・職場で大きな揺れに襲われた
・電車が全線不通で帰宅難民となる
・会社に泊まったが、食料と水には不自由なし
・就寝場所はテーブルの上だったが、1人部屋だし暖房あり
・3時間30分くらいかけて約15km歩いたが、残りはタクシー
・自宅の被害なし
被害の甚大さからすれば、微細なものである。

そして今回の大地震では、仙台空港や松島基地も津波で被災している。
仙台空港も松島基地も、どちらも外周を歩いた事がある。
まさにあの場所が津波に飲み込まれてしまった。
一歩間違えば、私も津波に流されていただろう。
運良く仙台空港の展望デッキにいたとしても、周囲は水だらけなのでターミナ
ルに孤立したであろう。

今回の大地震では、災害とは人事ではないことを強く学んだ。

亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします。
また、被災地の復興に私のできることがあるのなら、どのような事でも協力し
たいと思います。


本日のGPSログ

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