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エアポート出撃ダイアリー #0130 2003.12.15 海上自衛隊 鹿屋基地

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■行程
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1110;鹿屋基地着  1420;機材撤収

  0630    起床
  0830    出撃
  0900〜1040 鹿児島交通バス(鹿児島空港→鹿屋バスセンター)
  1040〜1110 移動(徒歩)
  1110〜1235 鹿屋航空基地 史料館
  1235〜1350 移動(徒歩)
  1350〜1420 霧島ヶ丘公園
  1420〜1600 移動(徒歩&バス)
  1610〜1805 鹿児島交通バス(鹿屋バスセンター→鹿児島空港)
  1900    宿へ帰着

※本日の行程には徒歩の時間が多かった。
   バスセンター→史料館 (2.5km)
   史料館→霧島ヶ丘公園 (5.0km)
   霧島ヶ丘公園→史料館 (5.0km)
   史料館→バスセンター (2.5km)
 全行程を完歩すると合計15.0kmで約3時間30分となるが、
 機材を担いでの行軍には疲れ切った。

 特に、霧島ヶ丘公園は小高い丘の上にあるので
 急な上り坂の連続で体力を消耗していった。

 結局、最後の2.5kmを歩く気力がなくなり
 路線バス(130円)のお世話になりました。


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■コンディション
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天候;晴ときどき曇(ほんの少しだけ雨)、使用滑走路;1110〜1550 RW26R/L


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■海上自衛隊 鹿屋航空基地
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主な所属部隊;第1航空群、第1航空修理隊、第211教育航空隊
       鹿屋警務分遣隊、鹿屋システム通信分遣隊
所在地   ;鹿児島県鹿屋市西原3-11-2
アクセス  ;鹿屋バスセンターから徒歩約30分(約2.5km)
       または路線バス(垂水行または坂元行)で航空隊前下車(130円)


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■海上自衛隊 鹿屋航空基地史料館
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保存展示機
  US-1A   9076
  S2F-1   11-4131(b/n.136722)
  P2V    4618
  P2J    7-4783
  P2J    7-4771
  B-65   202-6714
  KM-2   201-6263
  OH-6J   211-8763
  V-107   111-8608
  HSS-2A  211-8074
  メンター 201-9012
  ベル47  53
  R4D-6   205-9023
  SNB-4
  SNJ

※屋外に海上自衛隊で活躍した各種の機材が展示されている。
 この他に屋内にも史料が展示されているが
 多くの展示物については撮影禁止であった。(ゼロ戦の撮影はOK)


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■霧島ヶ丘公園
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霧島ヶ丘公園からは鹿屋航空基地を一望でき
海上自衛隊の保存展示機が余生を過ごしている。
一見の価値ありですが、公共交通機関がないのでかなり遠いが歩くしかない。
¥に余裕があれば、レンタカーまたはタクシーを利用したい。

保存展示機;KM-2 201-6266
      OH-6J 211-8762
      HSS-2A 211-8081
所在地  ;鹿児島県鹿屋市浜田町
アクセス ;鹿屋バスセンターから徒歩約100分(約7km)


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■出撃後記
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「陸の孤島」と言う言葉があるが、東京の感覚ではあまりピンと来ない。
例えば、城南島はバスの本数が少ないので「陸の孤島」なのかな?
 城南島のバス時刻表 ↓
  行き;http://homepage2.nifty.com/yoyotoru/bushnd10.html
  帰り;http://homepage2.nifty.com/yoyotoru/bushnd09.html
この程度ではあまい! 城南島からは30〜60分も歩けば駅がいくつもある。

鹿屋こそ本物の「陸の孤島」だ!  地理的には大隅半島の先端付近
三方を海、残りは険しい山岳地帯に囲まれている。

交通機関は鹿児島空港からバスで100分
この間、バスは民家もほとんどない山岳地帯を走る。
鉄道なんて走っていない。民間の空港もない。

こういう場所に生まれていたら、10代のほとんどを孤島で過ごした後
鹿児島市に行ってビックリ 東京に行って舞い上がってしまう心境も理解できる。

是か非は別にして、鹿屋市ってすごい場所だと思った。


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■エアポート雑記帳 ; 神風特別攻撃隊
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特攻の町と言えば鹿児島県知覧市が有名である。
しかし、知覧は旧日本陸軍の出撃拠点であり
旧海軍所属の特攻機は、鹿屋基地から出撃していたらしい。

この事は、鹿屋基地史料館を見学するまでは全く知らなかった。

旧日本海軍全体で特攻に参加したのは2,526名だったが、
この内829名が鹿屋基地から出撃したとのことである。
(この他に旧日本陸軍からも千数百名出撃したとのこと)

今、立っているこの基地から
多くの人々が特攻へと飛び立っていったかと思うと気持ちが滅入った。

出撃していった方々は、大尉、中尉、少尉など階級は高いが
年齢的には10代後半〜20代前半の若者達が大半である。

史料館の中には、遺影が飾られており
出撃前には勇ましいポーズをしていても、やっぱり顔立ちは幼い

そして、出撃した期間は1944.10.21〜1945.08.15
時期的にも、破れかぶれの攻撃に思えてならない。

それでも、本人達は銃後の守りを固める家族のため
国のためを思い大空へと散って逝ったのだろうか?
本音では、死ぬのは怖いし死にたくはなかったのだと思う。

大東亜戦争が終わって58年
この当時、15歳だった少年は現在では73歳となっている。
戦争を実際に体験した方々も少なくなり、どんどん風化してしまっている。

「この時代に日本で何が起きていたのか」、「戦争になるとどういう事が起きるのか」
歴史の1ページとしてではなく、きちんと語り継がなければいけないことだと
鹿屋基地史料館を見学しながら痛感した。

戦争を始めるのは老人だけど、戦争で死ぬのは若者なのだから・・・


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■出撃経費 ; 8,804円
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バス代(3,730円)、アクエリアス(150円)、水(110円)、強力ハブ酒(518円)
夕食(ダブルチーズハンバーグ定食大盛り+発泡酒2本;1,266円)
宿泊費(3,030円)


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