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東経136度の子午線が通る駅

手原駅
東経136度の子午線が通る駅
北緯35度01分38秒 東経136度00分00秒

「手孕(てはらみ)伝説」由来

「手の赤ん坊、手が孕ませた村」この奇妙な伝説(17世紀初頭の文献)により「東海道名所記」にこの地名由来が記され「源平布引滝」は寛延2年大坂にて人形浄瑠璃で初演、歌舞伎でも上演された。

平成11ねん栗東でも、この地が舞台の「手原村秘聞」が上演、百姓九郎助の茅葺入母屋が新駅外観のデザインに導入。

この記念碑は駅構内を通る東経136度の子午線上に九郎助の娘小万が握り守った「源氏の白旗」がモチーフにほゞ400年を経て伝説が甦った。

平成17年3月、手原駅改築・周辺整備の完成を記念して、手原自治会住民と関係者の協力を得て記念碑を建立した。

手原駅の沿革

明治22年、関西鉄道会社の草津〜三雲間が開通した。

のち、葉山村会の決議や大宝・治田・金勝村長の請願など力強い運動により大正11年11月に開駅、里内新助氏一族の土地の提供や鉄道講など地元の協力は多大であった。

開設前は一面竹藪と桑畑で、切り開かれホームや駅舎が整備された。

古くは栗太郡北東部の中心地で官衛的な性格の地域であった。

昭和47年蒸気機関車からディーゼル車に、昭和55年3月には電化された。

昭和57年には土地区画整理事業により駅前の拡張、南北の自由通路が完成した。

平成16年11月、地元の強い改築要望で新駅舎が完成した。


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