スポッターズ的ひこうき写真館                                            蒸気機関車


機関車  C11 274 第1動輪

浦臼町郷土資料館
北海道 樺戸郡 浦臼町 字浦臼内 183-21
北緯43度25分39秒 東経141度49分00秒

動輪の刻印はC11 274となっている。
煙室扉とは別車輌なのか?

昭和の初期、石狩川の氾濫は毎年のように田・畑に被害を与え、渡船交通は著しく迫害される中で、地域の開発が急がれ札沼線(札幌〜沼田)が昭和10年に開通し、滝川〜札幌の函館本線が寸断された時の代行線として、敷設された。

戦時には、当別〜沼田が鉄材として接収され、一時休止されたことがあったが、開通以来、蒸気機関車は36年間に渡り沿線を走り続けた。

浦臼への入植は、明治24年に小樽・砂川間に敷設された鉄道の開業によるところが大きい。

その後、開拓が進むにつれて入植者のみならず農産物の出荷量も増えてきたが、船運や渡船を利用して人々の移動、そして各種農産物などの輸送は、とても不便であった。

石狩川右岸の鉄路敷設の請願は、大正元年に始まり、右岸8ヶ所の町村の有志の弛まぬ努力と住民の懸命な後押しにより、大正14年に継続事業として敷設工事が決定した。

工事は、昭和2年に沼田口から、また昭和4年には桑園からも着工し、昭和10年10月に桑園から石狩沼田の総延長111.4kmが札沼線として全通した。

左岸の鉄路に遅れること45年、浦臼町民はもとより右岸沿線の住民にとっては待望の開通であり、この事により農産物や生活必需品などの物量も一層盛んになった。

鉄道の歴史が示す通り、札沼線も昭和32年に蒸気機関車から気動車(ディーゼル機関車)に代わり、更には産炭地の閉山や沿線の過疎化に伴い、昭和47年に国鉄合理化に編入され石狩沼田から新十津川の34.9kmが廃止路線となるなど様々な変遷を遂げた。

展示されている動輪は、開通当初に活躍していた蒸気機関車C11型のもので、浦臼開発史の重要資料として、昭和53年11月に当時の国鉄から寄贈されたものである。


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