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日本海不審船追跡事件

2隻の不審船に対し海上保安庁と海上自衛隊が追跡

ことの始まりは、電波情報を収集する自衛隊(防衛庁)各部隊が、日本海から発信されている怪しい電波を受信したことだった。

これは2000年3月19日前後だったと言われ、その後すぐに、海上自衛隊のP-3C哨戒機などによる日本海での監視活動が強化された。

大事になったのは2000年3月23日午前。
P-3Cが能登半島東方沖で船体に「第2大和丸」と記された不審船を発見。

これは日本の領海内であった。また、同じくP-3Cが能登半島の東約46kmで、船体に「第1大西丸」と記された2隻目の不審船を発見した。

不審船と断定した根拠は、漁船なのに魚具を積んでいない、船に必要以上のアンテナが多く設置されている、

そして「第2大和丸」と「第1大西丸」という船名が日本で既に登録されていない偽名であったこと(海上保安庁の調べで判明)などだ。

P-3Cの「不審船発見」の通報を受けて、海上保安庁の巡視艇が金沢から出動し、23日午後1時すぎ、両船に対し停船命令を出した。

しかし、不審船は停船に応じなかった。海上保安庁は、巡視船、巡視艇を増援し、追跡を継続。

新潟航空基地に配備されているS-76ヘリコプターも出動した。

また海上自衛隊は、P-3C1機と護衛艦3隻が不審船2隻を追跡した。
夜になって午後8時頃、海上保安庁の巡視船「ちくぜん」が「第2大和丸」に20mm機銃で威嚇射撃を実施。

同じく巡視艇「はまゆき」が13mm機銃で威嚇射撃を実施。
また、巡視艇「なおづき」が「第1大西丸」に対して13mm機銃で威嚇射撃を実施した。

午後9時9分、巡視艇は燃料不足で「第2大和丸」の追跡を断念。
午後9時30分、別の巡視艇も燃料不足のため「第1大西丸」の追跡を断念した。

不審船はその後も逃走を続け、日本の領海から脱し、24日午前0時すぎ、日本海における日本とロシアの中間点まで到達した。

午前0時50分、政府(防衛庁長官)は海上自衛隊に対し、自衛隊法82条に基づく海上警備行動を発令。

午前1時から3時頃にかけて、「第2大和丸」に対し、護衛艦「みょうこう」が13回の警告射撃を実施、P-3Cが船周辺に爆弾4発を投下した。

また、午前1時から午後6時頃にかけて、「第1大西丸」に対し、護衛艦「はるな」が12回の警告射撃を実施、P-3Cが船周辺に爆弾8発を投下した。

午前3時20分頃、「第2大和丸」が防空識別圏を通過したため、追跡を終了。
同じく午後6時頃、「第1大西丸」が防空識別圏を通過したため、追跡を終了した。

午前7時55分頃、日本海上空で監視飛行中の航空自衛隊E-2C早期警戒機が、北朝鮮からミグ21と思われる航空機4機が発進したことを確認した。

それを受けて、小松基地所属のF-15戦闘機2機がスクランブルを発動。

F-15は、日本海で警戒飛行を行なった。
24日午後3時30日、海上警備行動が解除された。


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