1894年(明治27年)6月10日に、現JR山陽本線が三原から広島まで線路がつながった時、瀬野に蒸気機関車の基地がつくられた。
瀬野から八本松までの間が。急な坂で曲がりくねっている所が沢山あるため、列車がしっかり前に進み走れるように蒸気機関車が列車の後押しをした。
その後、瀬野機関区と駅も大きくなり、一番多い時には25両もの蒸気機関車が活躍した。
しかし、蒸気機関車の煙突から吐き出す黒い煙のため、瀬野のスズメは「黒いスズメ」と言われ、米や野菜などの農作物がうまく育たず、洗濯物などが汚れ、住んでいる人たちは迷惑していた。
また、煙突から飛び出した火の粉が、わら屋根の家に飛び散って火事になったり、1日に2回も山火事が起きたこともあった。
技術の進歩により、1963年(昭和38年)に、列車を電気で動かすようになり、蒸気機関車が列車を後押しする雄姿を見ることはなくなった。
展示されている蒸気機関車は、1943年(昭和18年)に造られてから、主に北陸本線を走り、その後、山口線に移り、1975年(昭和50年)まで活躍した。
山口県の長門機関区を最後に蒸気機関車としての仕事を終えた。
当初、瀬野川公園入口の国道2号沿いに展示されていたが、瀬野川公園が作られた時に公園の中に移設された。 |