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2002年5月25日 チャイナエアライン B747-200B墜落

2002年5月25日午後、台北から香港へ向かっていたチャイナエアラインのB747-200B(B-18255)が、台湾南西の台湾海峡に墜落した。
乗客乗員あわせて225名は全員死亡した。
事故原因については、関係機関によると事故直前、4つに分解したとの情報もあり、また同機が生産から20年以上を経た経年機だったことから、金属疲労による空中分解とする見方も出ている。
なおこの機体は2002年中に海外の航空会社に売却の予定になっていたチャイナエアラインに現在残る唯一のB747-200B旅客型機だった。

事故機


B-18255  B747-209B
2001.03.18  羽田空港にて撮影

台湾海峡にジャンボ墜落
2002年5月25日午後3時半日本時間午後4時半(以下の時刻は台湾時間)頃、台湾の台北発香港行きのチャイナエアライン611便(以下CI611)が、台湾海峡の澎湖諸島北東付近に墜落した。
CI611には乗員19人と乗客206人(幼児3人を含む)の計225人が乗っていたが、生存者は発見されず、全遺体は引き上げられていないものの、全員の死亡が確認された。
このCI611はB747-209B(B-18255)で、ボーイングの発表によれば製造番号は21843、1979年7月31日にチャイナエアラインに引き渡され、事故前までに約64,394時間を飛行し、約21,180回の着陸を行っていた。
事故までの経緯をまとめておくと、CI611は、2002年5月25日午後3時8分に台北の中正国際空港を離陸、指定された航路を順調に飛行していた。
3時16分までの6回の交信が地上の管制施設との間で行われているが、これらに異常を告げるものは何もなかった。
同29分にレーダーの画面が異常発生を知らせ、同30分30秒頃にレーダーから機影が消えた。
このときCI611は、高度約30,000ft(9,144m)を飛行中だったとされており、初期巡航高度に到達しほぼ水平飛行に移っていたものと考えられる。(飛行高度については高度35,000ft=10,688mとする報道もある)現場周辺の当時の天候は良好であった。

上空で四つに空中分解?
CI611は洋上を飛行中に行方不明となったが、その後、本機の残骸が広い範囲で落下し、機内の備品なども含めて一部は陸上でも発見されたことから、CI611は空中で何らかの分解を起こしていたことがほぼ確実視されている。
当初は撃墜などの軍事行動に巻き込まれたとの説もあったが、台湾軍当局、中国ともにこれを否定し、また撃墜を裏付ける証拠は全くなく、現在では少なくとも撃墜などではないことはほぼ確実となっている。
前記したように、レーダーの画面で異常発生が伝えられているが、これが何を意味しているのかは不明である。
一般的に考えられるのは、CI611のトランスポンダーから異常発生信号が発せられたことで、レーダー・スクリーン上の表示がそれを示すものに変わったということだが、そのような具体的な説明はなされていない。
ただ、近くを飛行していた2機のキャセイ航空機が自動でトラブル発生を知らせる信号を事故機から受けていたことが明らかになっており、異常発生信号が発せられたものと見てよい。
一方、事故翌日の26日には、台湾行政院飛行安全委員会の戎凱委員長が、「機体が高度約9,000m以上で空中分解し、4つの大きな固まりになって墜落したとほぼ確定できた」と述べている。
これは公式な機関による発表であるため、現在ではこの「4つに空中分解して墜落」というのが実際に発生した事態と認識されているが、どのようにして4つに空中分解したことを確認したのかはきちんとは発表されていない。
一部ではレーダーで確認されたとも伝えられているが、そのようなことがレーダー・スクリーン上だけで確認できるのか疑問もある。
さらには、機体後部が大きく吹き飛んだようだとのコメントも台湾当局から出されたが、機体が爆発でも起こさない限り、機体後部だけが吹き飛ぶことは考えられない。
これが事実だとすれば、空中分解を起こして機体後部が離れ、そこにかかった空気抵抗が大きく、さらには風などの影響も受けて他の部分と大きく離れてしまったということであろう。
事故発生後、現場周辺の海域ではすぐに捜索活動が開始されたが、生存者はおらず、また遺体の回収作業も完了していない。
併せて、事故原因の究明に不可欠なフライト・データ・レコーダー(FDR)とコクピット・ボイス・レコーダー(CVR)の回収作業も進められ、27日には、台湾の緊急事態対応当局の関係者がブラックボックス(FDRとCVR)の位置を信号により確認したと語った。


ブラックボックスは未回収
しかし28日になると、この信号は実際には違うもの(周波数が異なっていたとされる)で、事故機のブラックボックス発見の手がかりは得ていないという台湾行政院航空安全委員会からの発表があった。
しかし29日には、今度は捜索当局の林陵三交通部長が事故機のブラックボックス位置を確認、事故機の残骸の大半がブラックボックスと同じ海域にあると発表した。
このようにブラックボックスの行方は二転三転しているが、これまでのところ、ブラックボックス発見の報道はない。
今回の事故は、異常発生を知らせる信号は出ているものの、それに関する交信は行われていない(あるいは明らかにされていない)。
したがって、他の航空事故にも増してブラックボックスの解析が事故原因の究明に不可欠となり、その回収が期待されている。
中国の新華社が2002年6月4日付で、「レーダー・データによればCI611は解体前の2分に、進路方向、速度が尋常ではなく、加速、減速が10回にも達した」と報じている。
新華社では、「なぜ30,000ft以上の高空で頻繁に加速されたり減速されたりしたのか、機首が左へ傾いたり右へ傾いたりしたかについて、判明できるデータは手に入れられていない」としている。


機齢23年という経年機
事故機については、前記したデータからも分かるように、経年機であることは確かだ。
一搬的に、標準的な使い方をした場合、今日のジェット旅客機の経済寿命は約20年といわれている。
これに対して事故機は、引き渡しから約23年を経過している。
またB747-200の設計寿命は60,000飛行時間で、事故機はそれを約4,400時間超過していた。
ただこれらの寿命は、例えば必要な改修・補強策を実施していれば飛行時間は延ばされるし、年数にしても保守に経費がかかるようになるものの20年を超えても運航し続けることはできる。
実際に事故機は、近くタイに売却される予定だったと伝えられており、少なくとも寿命飛行時間についてはそれを超えて運航できる対策は取られていたはずだし、貨物機に転用すれば機体の経年化の問題も低下する。
したがって今回の事故が機体の経年化と関係があるかは一概に言うことはできない。
ただ、古い機体であったことだけは確かである。

過去12年で約700人犠牲
チャイナエアラインについては、1994年4月26日に名古屋国際空港で着陸時に墜落し、乗員乗客271名のうち246名が死亡するという大事故を起こした。
これが日本国内でもっとも最近の重大航空事故であることもあって、日本ではチャイナエアラインは事故が多いというイメージを持たれている人が非常に多い。
そして残念なことに、この印象は決して間違っていないのである。
チャイナエアラインは実際に、過去12年間に5件の重大航空事故を起こしており、今回の事故も含めるとその死者数は約700人近くに達している。
今日の近代化された航空運航システムや安全性の高まった航空機という環境を考えると、これは極めて多いといえる。
チャイナエアラインの李雲寧会長が「事故原因が何であれ、一切の貴任を取る」と述べているが、この事故の多さはチャイナエアラインが過去の事故を反省して、安全に対して充分な取り組みをきちんと行ってこなかったといわれても仕方ない。
これ以上事故が続かないように、安全に対する取り組みも含めて、チャイナエアラインの体質改善が望まれる。


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