峠の公園 群馬県 渋川市 伊香保町 伊香保 553-7 北緯36度29分59秒 東経138度55分23秒 |
2021年 | |||
○チンチン電車 チンチン電車は、高崎及び前橋から渋川を経て伊香保に至る全線単線の路面電車で、次の3線48kmからなっていた。 高崎線 ;20.9km(高崎駅前〜渋川長塚町) 前橋線 ;14.5km(前橋駅前〜渋川新町) 伊香保線;12.6km(渋川新町〜伊香保) 明治23年に上毛馬車鉄道として前橋線が開業、明治43年に伊香保線が伊香保電気軌道として開業した。 その後、昭和2年10月に東武鉄道が伊香保線も含めた3線を東京電燈から買収し、伊香保線を東武鉄道伊香保軌道線として営業を続けたが、全国に普及し始めた安価で利用できる乗り合いバスの影響により、昭和10年には廃止が決まった。 しかしながら、昭和12年の日中戦争から第二次大戦にかけて、戦時輸送に切り替わり旅客は増加し、伊香保へ学童疎開していた子供たちや町民の為に食料を届ける役割も担った。 戦後の混乱期も、通勤や買い物にも利用され、ピーク時の昭和24年には年間495万人の利用客があったが、バスの輸送網が整備されてくると経営は悪化し、昭和31年12月28日の廃線となった。 ○伊香保軌道線 伊香保軌道線は、当時伊香保の有力者により設立され、渋川から伊香保までの高低差524m、平均勾配41.8‰(最急勾配57.1‰)の登山電車であった。 伊香保方面へ登るときは、渋川の街を抜けると専用軌道となり、87ヶ所に設けられた迂回などの為のカーブによって急勾配を避けると共に、途中数か所で「スイッチバック方式」による交換をしながら走行し、逆に伊香保から渋川までは急な下り勾配を利用し、途中はトロリーポールを架線から外し、下り坂の惰性とブレーキの制御だけで渋川の街まで戻ることができた。 展示されているチンチン電車の車体は、明治時代後半から昭和時代中盤まで活躍していた実物である。 台車は、この区間を運行していたものではないが、国内の別の場所で運行していたものである。 |